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7月8日、OM-D E-M1 Mark IIを持って新宿へ。新宿御苑の小径を抜けて新宿通りの街角で。 [OM-D E-M1 Mark II]

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今日の天気予報ですが、
東京の天気は「晴」最高気温34度、最低気温は摂氏23度となっています。
昨日は、よく晴れて暑い日でした。お身体に気をつけて、風邪にご注意ください。
今朝も、連日の晴れた猛暑の夏日となりそうです。そんな2017年7月10日です。

短時間に記録的な水害となった北九州の水害ですが、多大な災害となられましたことに哀悼の意を表します。
7月は誕生月(7/20)ですので、皆様、よろしくお願いいたします。
皆様も、呉々も、熱中症にはお気を付け下さい。

7月9日、用事があって新宿御苑に行ってきました。
公園の噴水に魅せられた後、小路を抜けながら、新宿通に出ました。
ほんの僅かの距離ですが、新しく整備されている花園通り沿いと、路地先の光景の違いにハッとし、
新宿通りに出ると、さらに、見慣れた古本屋さんが退去していて、テナント募集の文字が悲しく見えてきます。
大正15年築の建物に、昭友社書店は昭和13年から営業されていたらしい。
今はなき昭友社書店が閉店したのが、ほぼ1年前の2016年7月2日です。
新宿御苑を代表する古書店であり、ある意味、新宿の古書店の生き字引のような書店でした。
ここでは、忘れた頃に思い出したかのような古書がでていることがあり、運良く見つかれば、気分も高揚したモノです。
自分など比較に何らないほど、多くの思い出をお持ちの方も多々おられると思います。

今は、皇居半蔵門前から、四ッ谷、四谷三丁目から四ッ谷4丁目先のトンネルで甲州街道ルートと、
そのまま、真っ直ぐ、新宿御苑から、新宿駅に向かうルートの2つが新宿通となっていますが、
四ッ谷4丁目先の荒木門から、伊勢丹手前の新宿追分(バルト9あたり)までは、昔ながらの2車線の道幅のままです。
それでも、再開発の波は大きく、道沿いの商店は、殆どが、何回も入れ替わっています。
そんな中、昔ながらの古書店の存在は、街角の化石でもあり、宝石のようでもありました。
時間的に昼時なので、「肉屋の正直な食堂」さんに入って、ハンバーグを焼いてきました。
今どきらしく大きなカウンターデーブルにココにセットされたIHで、鉄板の中の肉類を焼くスタイルです。
〇「7月8日、OM-D E-M1 Mark IIを持って新宿へ。新宿御苑の新宿公園で噴水に魅せられる。
今日の一枚は、
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『昭友社書店さんの跡』
Olympus OM-D E-M1 Mark II+Voigtlander Nokton 25mm F0.95 Type IIレンズで撮影しています。
JPEGリサイズのものと、Camera RAW 9.10.160(CC)での現像も混在しています。
ここから、Olympus OM-D E-M1 Mark II+Voigtlander Nokton 25mm F0.95 Type IIレンズで撮影しています。
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1)↑写り込み
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2)↑提灯を見て
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3)↑
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4)↑太宗寺江戸六地蔵の後から
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5)↑太宗寺江戸六地蔵
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6)↑角を曲がって
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7)↑新宿一丁目交差点で
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8)↑
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9)↑自転車
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10)↑昭友社書店跡で
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11)↑
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12)↑ギリギリ寄って、マクロ的な一枚


カバー写真は京橋エドグランでの一枚からです。
コメントのパスワードを少しだけ変更しました。もう、2017年ですからね。

毎日、見て頂くblogの文章が痛ましく感じられて申し訳ありません。
妻が急逝して、遂に3年経ちましたが(3月11日未明)、なんだかあっという間に時が過ぎていきます。

1998年の秋に妻と出会ってから、私にとっては、珠玉のような15年でしたが、
若くして不治の病(膠原病のSLE)に罹患した妻にとってはどうだったのでしょう。
人一倍、生きることに(生き残ることに)頑張っていた妻に、与えられた運命は過酷だったと思います。

思えば、妻と一緒にいた15年間はかけがえのない時間だったと思います。
今は、天に昇った妻の一部が、そっと、自分の近くにいてくれていると思います。
『美しい光景を見ること』が妻の言えなかった遺言のような気がしています。
妻が見たかったであろう光景、美しい光景を見に行き、そんな写真を見せていこうと思います。
6月11日は、妻の39回目の月命日の記事に、沢山のアクセスをありがとうございます。
2017年6月11日、妻の39回目の月命日となりました。
〇「6月11日は妻の39ヶ月目の月命日です。熊本で買ってきたデコポンプリンとデコポンゼリーを供えて。
5月11日の記事には、沢山のアクセス、nice、コメントをありがとうございます。
2017年3月11日の3年目の命日の記事に沢山のアクセス、沢山のコメントをありがとうございます。
2015年3月11日は、妻の一周忌の「命日」でした。

2014年8月31日は、妻の41回目の誕生日の話から。

番外編
5月13日から15日、熊本へ行ってきました話の5月14日からです。
阿蘇くまもと空港 → 熊本市内。

2014年3月8日から3月10日、妻と共に訪れた熊本・阿蘇の地は、奇しくも妻との大事な思い出の地となりました。
その熊本が大地震に被災して1年、まだまだ爪痕が残る被災地と復興していく姿を訪ねるツアーでもあります。
さて、2日目14日の地元のFさん案内のバスをチャーターしての熊本ツアーからです。
5/14の予定ですが、メインは南阿蘇鉄道 高森駅からのトロッコ列車です。
08:00 熊本市民会館前集合 → 熊本城車窓 → 震源近くの震度7となった益城町 車窓 →
          西原町セブンイレブン → 南阿蘇鉄道 高森駅 → 周辺撮影
11:30 高森駅(トロッコ列車乗車) → 11:42 阿蘇白河駅
11:42 阿蘇白河駅で「折り返しのトロッコ列車を撮影」 → 再びバスで → 池の川水源(撮影) →
13:00ごろCafe しもんで昼食 → 寺坂水源(撮影) → 塩井水源(撮影) → 阿蘇大橋崩落現場 →

〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。その先に何もない阿蘇大橋。その20
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。もう少しだけ、みなみあそ村 寺坂水源から。その19
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。さらに、みなみあそ村 寺坂水源にて。その18
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。みなみあそ村 寺坂水源から。その17
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。道の駅 あそ望の郷くぎの Cafe しもん での昼食から。その16
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。池の川水源と川のトンボから。その15
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。阿蘇白河駅での撮影から。その14
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。南阿蘇鉄道の阿蘇白河駅から。その13
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。南阿蘇鉄道のトロッコ列車の車窓から。その12
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。南阿蘇鉄道トロッコ列車の旅。その11
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。もう少し、南阿蘇鉄道 高森駅とトロッコ列車から。その10
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。南阿蘇鉄道 高森駅とその周辺で。その9
〇「5月13日から15日、OM-D E-M1 Mark IIを持って熊本へ。被災から復興していく姿を訪ねて。その8

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