昨日の続きで、神楽坂のお散歩写真です。
○「8月31日。健康診断のために高輪台へ。その後、移動して、何年ぶりかの懐かしい神楽坂の街へ。

神楽坂に、「相馬屋」さんという文房具屋さんがあります。
かなり昔から、用紙の原稿用紙で有名なお店です。
「~洋紙の原稿用紙は相馬屋から~
 初代が紙漉き源四朗(現在は「郎」)と呼ばれ、
 ここ神楽坂で菩提寺の過去帳にその名を記しているのが1659年。
 明治の中期に和半紙だった原稿用紙を尾崎紅葉の助言で洋紙にして売り出したのが
 「相馬屋製」で夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちにご愛用頂きました。」
と、ありますので、由緒正しい原稿用紙販売の老舗さんです。
ここに併設して、集合住宅があって、学生時代、更新はしなかったので2年間だけ住んでいました。

当時は、大江戸線も陰も形もなかったですが、
JRと有楽町線と東西線のある飯田橋駅と、神楽坂上をさらに上がった矢来町の東西線の神楽坂駅の複数の駅が利用できること、都電のコースをなぞって走る都バス、大久保通り、外堀通り、目白通りが交差する道路網と、非常にあちこちに移動し易い立地の良い場所だと思います。
歩けば、飯田橋から、外堀沿いに、お隣は、東側は、水道橋(後楽園)、西側は、市ヶ谷、北側は、早稲田、南側は、神保町〜九段下と、都心のほぼ中心に位置していて、新宿、池袋、お茶の水/秋葉原などへも、ほぼ等しい時間で移動できます。

当時、時間はかかるのですが、ちょっと前まで、新宿〜大久保通り経由〜秋葉原行きという都バスの路線があって、この都バスで、のんびりと、神楽坂に戻ることや、さらには、秋葉原までバスで出るもの好きでした。

そういった立地の割に、当時は、開発されない昔ながらの東京の田舎町であって、一本通りを入ると、料亭があって、坂道が多くて、ただ、往年の神楽坂芸者さんの姿は見る事はなかったです。
今は、有名になって、こ綺麗になってしまい、別世界です。
また、当時から、いろいろな飲食店が所狭しと並んでいましたが、
都心の再開発によって、いろいろな場所から、著名な飲食店が神楽坂の地に集まってきて、
一種のグルメタウン化しているのも、うーん、良いのか、悪いのか。

このあたりで、落ち着く場所は、昔からあるのですが、飯田橋のお堀端のCANAL CAFE、そして、昔はなかったの思うのですが、アグネスホテルのティーラウンジでしょうか?
また、喧噪な住宅地に囲まれているのですが、アグネスホテルのそばにある若宮公園も落ち着きます。

いっぺんには、神楽坂の地を紹介しきれないので、何回か、続きます。

今日の写真は、その神楽坂の散歩でのスナップ撮影からです。

機材は、Olympus E-P3+MMF-2+ED50mm F2.0 Macroレンズです。
1)河合陶器店さんにて
2)河合陶器店さんの軒先につる下げられた風鈴たち
3)風鈴その2。
4)神楽坂を見下ろして。
5)肉まん/あんまんで有名な神楽坂五十番の二号店さんにて。いつの間に二号店?
6)昔からある蕎麦・うどんやさん
7)相馬屋さん前にて。
8)道を歩きながら。
9)毘沙門天前に、お花の露天が。
10)ふとしたところに、路地があります。
11)毘沙門天前にて。
12)毘沙門天を囲む人々。中で休憩している方達の笑顔が素敵です。
13)路地から、神楽坂をみて
14)路地の一角にある和食店の軒先にて