心の中の一部がもぎ取られて、過ぎ去る時の中で止まったままのような気分です。
そんな2014年3月12日です。
皆様も、風邪を引かないように、お気をつけ下さい。

自分自身のこと、家庭のことを、記載しないblogとしてきましたが、
今日は、その理由も記載します。

3月11日の未明に、妻 ひろみ(享年40歳)が亡くなりました。
いつも、夜の長風呂が好きでしたが、3月10日の晩も、熊本旅行からの疲れた身体を風呂に入って
休めていたと思います。
先に寝て、明け方、まだ寝床にきていないので、
心配して風呂場に行ってみると、風呂の中に倒れていました。

救急・救命のかいなく、蘇生されませんでした。
あまり水も飲んでいなかったので、溺死ではなく、
持病の膠原病の一種である全身性エリテマトーデス(SLE)からの病死と判断されました。

いまだ、実感が無く、まだ、そこに現れる気がしています。


妻との出逢いは、1998年の秋でした。
池袋で待ち合わせて、カラオケに行って、歌が上手いなぁと憶えています。
その後、病気の寛解期だったのでしょうが、旅行帰りに上野に向かえに行ったりしていました。

何が結びつけたかは分かりませんが、
SLEという難病を18歳で発病して、入退院を繰り返しているのにへこたれない
バイタリティと、1人でも旅行をすると言った行動力、元気の良さ、
病気のため、学業は諦めざる終えませんでしたが、おばあちゃんの知恵のような
生活の知恵に満ちあふれていて頭が良かったコトなど、
私にとっても、見たことも無い新鮮な女性でした。

現代においても、ガンや、白血病でさえ克服できるような時代に、
SLEを含む膠原病は、原意不明のまま、リューマチや、クローン病など、
多くの派生した免疫系の暴走する疾患は、あまり糸口のないままに置かれています。
しかも、病状は、刻々と変化していきます。

妻の場合、
治療に使用するステロイド剤の副作用として、
腎臓が痛んでいきました。
出合って数年すると、担当医から、透析の開始を奨められました。
透析というのは、1日おきに、数時間の血液交換(人工濾過)です。
もちろん、機械式濾過の透析だけでなく、腹膜透析という方法もあります。
もう一つは、腎臓移植です。
若い腎臓病患者さんであれば、腹膜透析からスタートして、
腹膜が持つだけ持たせてから、機械式透析に移行するケースが多いです。
しかし、膠原病患者には、ハイリスクであるということで、機械式透析を行いました。
1日おきの数時間の透析は、透析患者の体力を大幅に奪いますし、また、行動範囲も狭めます。
2日以上遠方に行く場合も、旅行先となる現地の透析診療所の紹介と予約をして出かけます。
その点でも、腹膜透析の方がベターです。腹膜透析の器具と透析液を持って行くだけですみます。
もちろん、腎臓移植されるコトがモアベターです。
ベストといえないのは、移植後は、一生、免疫抑制剤を飲み続けなければイケナイからです。

引っ越しを挟んで2年間ほど透析を続けたところで、実母さんから腎臓を頂いて移植することになりました。
病院も、出合った当時は日大病院、その後、順天堂医院へ転院、そして、
移植が可能な女子医大病院に転院しました。
といっても、入院し続けた訳ではなくて、カルテと紹介状を持って、
転院して通院というカタチです。

その間も、妻の症状は、一進一退です。
年に、1ヶ月ほどは入院・退院を繰り返していて、
振り返って、この年は入院しなくて済んだね、良かったねと言い合っていました。
明確な治療効果が見込めない中での入院は苦痛ばかりで、妻も非常に嫌がっていました。

直近では、2013年8月31日(妻の誕生日でした)から1ヶ月間ちょっと入院していました。


25歳で知り合った妻(となった女性)が、徐々に壊れていく姿を間近で15年間見てきたことになります。

直近の妻は憶えてなかったと思いますが、出合った頃、難病の話を打ち明けられて、
まるで、少女マンガのような話に感動したあまり、自分が看取るから、大事にするからと言った覚えがあります。
15年間、決して言ったとおりに、大事に出来ていないことも多かったですし、
苦労の駆け通しや、心配させてばかりだったと思い、反省しています。

人生って、もっと、大事にして上げたいと思った時には、相手はいないモノなんですね。

3月11日は、自分の人生にとって最大の試練となって、心に大きな跡を残してゆきました。

今回の熊本旅行は、行く前から非常に楽しみにしていて、
旅行中も、熊本城の大天守閣に昇ったりと、頑張っていました。
羽田に着いて、昼食中にも、熊本は楽しかったと言っていました。

最後の思い出が素敵な熊本旅行になったのも、斎藤功一郎先生や、
町田さん、一緒に行ったPhotoartist仲間の皆さん、
そして、現地のオリンパスユーザの方々(たくらみの皆さん)のお陰と思っています。
ありがとうございました。

小さい身体をのしのしと、私を置いて、先に先に行ってしまう元気の良かった妻が、
徐々に身体を痛め、行動力をそがれ、いつの間に、外に出ると、寄り添うようになり、
手を引いて引っ張れというようになりました。
元々の彼女の性格からすれば、屈辱的なことだったかもしれません。
そんな彼女が、熊本旅行中は、空港内でも、水前寺公園でも、
あちこちと先に行って、どこに居るんだという昔ながらの姿勢を見せていて、
とても嬉しく思っていました。

よっぽど、楽しかったんだろうな。
熊本からの帰路、日本中のいろいろなトコロへ行きたいと言っていました。

まだ、一緒に居る気がしてなりませんが、苦しんだ病から解放されて、穏やかにお休み下さい。



3月11日への思い

3月4日のお昼休みに訪れた浜離宮恩賜庭園の早春からです。
梅は未だかなと、思ったのですが、春野浜離宮の定番である菜の花が咲き誇っていました。
その様子からです。




Photoartist講座仲間の町田さんが、斎藤先生の縁もあって、先生がギャラリーディレクターを務める
熊本市のアートギャラリー ジャッドで個展を開くこととなりました。

町田 良太 写真展「再びの光」
縁あって、町田さんが訪れた震災の地。
そこで、見たモノ。
復興していく姿、
どうしようもなく崩れゆく姿、
いずれもが、真実であり、
夢のようでもある。
町田さんの目を通して3年の月日を振り返る。

〒860-0851 熊本県熊本市中央区子飼本町1-25シンフォニーハイツ1F


今日の写真は、熊本旅行の初日に撮影した2枚からです。
普段、病気のタメに化粧ののりや写りが悪いと、写真に写るのを嫌がっていた妻ですが、
今回の旅行では、何か感じるモノが有ったのか、予兆があったのか、
いつになく、撮って撮ってと言っていました。

今日の一枚は
『笑顔』水前寺公園の池で
この1枚は、2014年3月8日に、Olympus OM-D E-M1+ED150mm F2.0レンズで撮影しています。





2048x1536サイズですので、画像をタッチしての拡大にはお気をつけ下さい。
1)こちらの一枚は、一部を遺影に使う予定ですが、お茶目で元気が良かった彼女らしい一面を撮れたと思います。
水前寺公園の参道のお店の前で。





MARUMI EXUS サーキュラー P.L 62mm EXUSC-PL62

  • 出版社/メーカー: マルミ
  • メディア: 付属品

OLYMPUS 単焦点レンズ M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8 BLK

  • 出版社/メーカー: オリンパス
  • メディア: 付属品

OLYMPUS 単焦点レンズ M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8 SLV

  • 出版社/メーカー: オリンパス
  • メディア: 付属品

Canon 単焦点レンズ EF85mm F1.2L II USM フルサイズ対応

  • 出版社/メーカー: キヤノン
  • メディア: 付属品

Canon 単焦点標準レンズ EF50mm F1.2L USM フルサイズ対応

  • 出版社/メーカー: キヤノン
  • メディア: 付属品



M.Zuiko ED12-40mm F2.8 PROレンズで、西新宿〜新宿の夜を撮りました。
折角、オリンパスさんに例の「Olympus賞」の賞品を頂きましたので、
天気は悪かったのですが、渋谷と西新宿に出かけたついでに、使ってみました。

今日の写真は、小川勝久先生の勉強会で訪れた館山の平砂浦海岸での撮影からです。

ありがとうございました。

2014年2月13日に開幕しましたCP+2014に初日と最終日のあれこれからです。
ここから、初日の様子です

2月8日の雪の日の続きです。

要望が高いので、予定を変更して、福島県での雪景色から紹介していきます。

1月4日の未明に、NOBUさん、高宮葵さんと原宿から表参道にかけての撮影をしてきました。

blogのヘッダーの写真を変更しました。OM-D E-M1+M.Zuko ED12-40mm F2.8 PROレンズで撮影した会津の吹雪のシーンです。

So-net blogの画像認証ですが、『コメント投稿時の認証画像について』という案内が出ています。
画像表示が改善されて、画像内の英数字がクッキリ表示されています。
なお、一時的に、画像認証のコードを簡単にしています。ヒントは、うちのblogの名前からです。
2013/11/01のblogから、画像認証を「無効」に設定しているので、
接続会員の方がログインされている場合は、画像認証が表示されなくなっていると思います。